2005年9月1日
「木のいのち」著者のメッセージ

いつも変わらずそこにいる、木の偉大さ
街に生きるけやきの木と人間の一生を通して、めぐる命の尊さを描いた「いのちの絵本シリーズ」の4巻目が刊行されます。著者立松和平さんからのメッセージをお届けします。
立松和平さん

『木のいのち』
立松和平/山中桃子・絵
「近所のけやきの木」 立松和平
私は東京の都心部にもう二十年以上も暮らしている。私の家の近所で、犬を散歩させて通る道路の角に、けやきの大木が立っている。その木は幹の中ほどが腐って大きな虚ができてしまい、そこにコンクリートを詰め込まれ、一見すると痛々しい姿をしている。
もちろんそのけやきは生きている。春になると枝の先の芽がふくらんでいって、緑の葉をひろげる。その葉はどんどん濃くなり、涼しい日陰をつくってくれる。やがて木の葉は色づき、はらはらと散る。散った木の葉を黙って掃いている人の姿をよく見かける。けやきはみんなに愛されていることがわかり、私も嬉しい気分になる。
そのけやきの下に立ち止まり、私は犬のポチと梢のあたりをよく見上げる。前のポチは老いて死んで、よく似た犬を飼うことにして、またポチと名づけた。まわりの命は変わっていくのに、けやきはそこで生きつづけている。私はけやきの下に立つたび、木のいのちの偉大さを感じるのだ。
私はあちらこちらで大きな木をたくさん見てきた。寄生植物を身のまわりにつけ、鳥やりすなどの巣になり、一本で森のような役割をしている木にも出会った。精霊が宿るとされ、人にあがめられている木もあった。ジャングルの中の石の遺跡に根を張り、たちまち大木になって、遺跡を壊しながら支えているという矛盾に満ちた木も見てきた。どの木も気高く生きている。
それでも私は、近所にあって傷だらけになり、根元はアスファルトに固められても、沈黙とともにそこに立ちつづけている名もないけやきを、畏敬の念で眺めてきたのである。まわりの人たちと苦楽をともにして、幾時代かを生き抜いてきたからだ。
最近といっても、十数年前のことになるのだが、そのけやきの向かいに、巨大なビルが建てられた。ビール工場が壊されて、ガーデンプレイスという名の建物ができたのだ。高層ビルにはオフィスがはいり、ホテルやデパートやレストラン、映画館、美術館、病院、銀行、郵便局など、人が必要とするほとんどのものが集まり、新しい街が不意に出現したのだ。人がたくさん集まるようにもなった。
歳月を生きて、そのけやきはきっと大きくなっているはずなのだが、高層ビルの隣では縮んでしまったようにも見える。激しく変わっていく街の中の同じ場所に、けやきは立ちつづけて微動だにしない。私も少しずつ老いながら、ポチとともにけやきの下に立つ。まわりは大きく変わったのだが、変わらないものもある。
けやきの声を聴くようにして、私の心の中に少しずつ物語が形をつくっていった。“自分は生きていて、これでも少しずつ大きくなりながら、お前たち人間を見ているのだよ”と、けやきはいっているように思えた。
大地を根でしっかりつかんで生きている木は、その土地の魂なのだとも私は感じるのである。
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